第二号できました。 - 2010.12.05 Sun
紙ふうせん第二号が完成しました。
テーマは《冬の贈り物》。
各短編約50枚、114ページ
A5オンデマンド印刷、価格500円(税込)。
すいさんお手製の帯(数種類あり)がついてます!
タイトルをクリックすると、お試し版が読めます。
★目次★
○冬の蝶 | 藍川いさな
白い息を吐き凍えた指先を温めながら、少年は少女の帰りを待っていた。【異世界】
○必勝の条件 | 永坂暖日
私はよく物を落とす。スケジュール帳、箸、それに受験票。【現代】
○Leeyaの妖精 | 鳴砂謙
里弥が兄の死を忘れていられるのは、拓馬が傍にいてくれるからだ。【現代】
○空色の贈り物 | 三和すい
冬の澄んだ青空を、アリシアはどうしても好きになれなかった。【異世界】
○スノースマイル | 八柳隆三
君は知っているだろうか。この世界のどこかに、冬に住まう少女がいるという事を。【現代】
テーマは《冬の贈り物》。
各短編約50枚、114ページ
A5オンデマンド印刷、価格500円(税込)。
すいさんお手製の帯(数種類あり)がついてます!
タイトルをクリックすると、お試し版が読めます。
★目次★
○冬の蝶 | 藍川いさな
白い息を吐き凍えた指先を温めながら、少年は少女の帰りを待っていた。【異世界】
○必勝の条件 | 永坂暖日
私はよく物を落とす。スケジュール帳、箸、それに受験票。【現代】
○Leeyaの妖精 | 鳴砂謙
里弥が兄の死を忘れていられるのは、拓馬が傍にいてくれるからだ。【現代】
○空色の贈り物 | 三和すい
冬の澄んだ青空を、アリシアはどうしても好きになれなかった。【異世界】
○スノースマイル | 八柳隆三
君は知っているだろうか。この世界のどこかに、冬に住まう少女がいるという事を。【現代】
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| 2010-12-05 | 紙ふうせん第二号 | Comment : 0 | トラックバック : 0 |
スノースマイル【お試し版】 - 2010.12.05 Sun
『スノースマイル』のお試し版です。
作者:八柳隆三
作者:八柳隆三
0
君は知っているだろうか。この世界のどこかに、冬に住まう少女がいるという事を。
聞いたことがあるだろうか。そんな「冬の少女の物語」を。地球が季節と共に回るように、彼女は冬と共に世界を巡っている。
彼女と出会った人は幸福になるという。険悪だった親子の仲が改善されるとか、仕事に運が向いてくるとか。近所で凶暴だと恐れられていた犬と仲良くなれるとか。大切な友達と仲直りできるとか。
彼女のことを知っているのはごく少数だ。同じ冬のロマンである、サンタクロースとかクリスマスにはまるで敵わない。
僕は知っている。なぜかって? そんなもの偶然に決まっている。宝くじと同じだ。ボクは彼女と出会った。でもそれは、誰だってそうだろう? ほんとうに、人生は宝くじに似ている。
少女は冬と共に現れ、冬と共に去っていく。地球が季節と共に回るように、彼女は冬と共に世界を巡る。
彼女のことを知っているのはほんの僅かな人だけだ。同じ冬の世界を回る、サンタクロースとかクリスマスとはまるで違う。彼女は伝説じゃない。もちろん冗談でもない。確かに生きて、世界(ココ)にいるのだ。
君は知っているだろうか?
彼女と出会った人は幸福になるという。
――僕はそれが、嘘であることを知っている。
1
へんな雲が飛んでいる。黒くて、雲なのになんだかごつごつしていて、すごい速さで飛び去っていく。でも、つぎつぎと似たような黒くてごつごつした雲が左から流れてきて、ビルの向こうに消えていく。
お日様は見えない。くろい雲の上を大きな灰色の雲が広がっていて、空を埋め尽くしているから。だから、まだ三時なのに辺りは暗いし、寒い。吐く息が白く、すぅっと空へとのぼって消えていく。これが雲を作るなら、きっと大勢の人が寒くてはぁ~っと息を吐いているのだろう。
もちろん、ボクは雲がそんなものだけで出来ていないことを知っているけど。
「……わっ、と」
危ない。ぼーっと空を見上げていたら思わずひっくり返りそうになって、ボクは慌ててランドセルを背負いなおした。今日はちょっと、あれこれ欲張りすぎたみたいだ。はずみでずれたメガネを手で直す。
ふぅ、と息がもれた。この二週間ばかりで少しは慣れて来たと思っていたけれど、ちょっと油断したらこれだ。図書室で面白いシリーズを見つけたからと、貸し出し限界まで欲張るんじゃなかった。
座り込みたい気持ちを押さえ込んで、ボクは前を向く。だって歩かないと家には着けない。あたりまえだけど、それが今はちょっと大変だ。
道は一直線に続いている。せめて途中で曲がってくれたり、坂になっていたり、あるいは階段とかがあれば多少は歩くのも楽しくなるかもしれない。けれど、こうも延々と信号も十字路も越えてただただ直線ばかりだと、まっすぐ前を向いて歩いていると途方も無さに暮れてげんなりしてしまう。ここまで来た苦労と、これからの苦労を重ねて、思わず座り込みたくなる。
(覚えやすくって良いでしょ)
ずっと前にそう言った母の声を思い出して、良いもんかとつぶやく。いくらボクだって、もうちょっとふくざつな道でも覚えられる。そんなことで喜んだのはせいぜい最初の三日ぐらいだったし、本当に嬉しかった理由は他にあった。
ひとつ、ふたつ、みっつ。指折り時間を数えて、もう引っ越して一年以上経ったのだと思い返す。もう前のマンションのことはあんまり覚えていない。今とは正反対の位置だし、そこに住んでいたのはそんなに長くなかった。その前のマンションなら、まだ思い出せる。いろいろと忘れてきているけれど、大きなお風呂とか、台所の位置とか、部屋がふすまで仕切られていて、夜こっそり隙間を明けてテレビを見たとか思い出せる。思えば、ボクの記憶はそのマンションから始まってさえいるのだ。
ボクはまたランドセルを背負いなおした。今度引っ越すときは、もう少し学校から近いお家にしてもらえるだろうか。――あるいは。
家のすぐ近くに公園がある。満足にキャッチボールも出来ないぐらいの小さな土地に、申し訳程度にすべり台と二台のブランコだけが置かれている。すべり台にはほとんど乗ったことが無いけど、ブランコにはよく乗った。足をぶらぶらさせたり、ゆらゆら揺れながら本を読むのが好きなのだ。今日もそのつもりだった。でも、先客がいた。
ボクは公園で立ち尽くした。ほぅと吐いた息が白く立ちのぼり、メガネを曇らせる。その向こうに、ボクは冬の妖精の姿を見た。ブランコが、風よりもほんの少しだけ強く揺れている。そこに少女は腰掛けていた。体は冷え切っていたけれど、不思議ともう寒いとは感じなかった。
太い毛糸の赤いマフラーに、薄いピンクのコート。そのすそからマフラーと同じ色をしたスカートを覗かせていた。髪は白く、降り積もった新雪のように銀色に輝いている。
ボクはふらふらと公園の中ほどまで足を進めた。少女はまるでボクに気づいたそぶりを見せなかった。期待と不安とがボクの中でうずまいていた。なにかの本にあったとおり、それまで信じてもいなかった運命に選ばれたとき、人は誰でもその思いを抱かずにはいられないようだった。
「……ねぇ、あなた。冬の少女って知ってる?」
ボクは驚いた。少女の声が、ボクの好きな冬の透き通った空気のようだったせいもあるし、冬の少女という言葉にボクは確かに覚えがあったからだ。そして、その言葉があまりにも彼女にぴったりと当てはまったからだ。
だから、ボクは知っていると答えた。
「ほんとうっ!」
彼女はとても嬉しそうに笑って、勢いをつけてブランコから飛び降りた。そこはもうボクの目の前だった。それぐらい小さな公園だったのだ。
間近で見た彼女の顔は、幼いようにも、ずっとずっと年上の人のようにも思えた。その瞳は、冬の空のような色をしていた。今日のような曇りではなく、澄んだ青空の色をしていた。
小さな胸が偉そうにふんぞりかえり、その瞳があでやかに微笑んだ。ウチダくんにも襲い掛かったのだろう感動が、ようやくボクの胸にも広がった。ボクはいまこそ、本当に心のそこからウチダ君に謝りたいと思った。そして、一緒にこの目の前の彼女について語り合いたいと思った。それが出来たら、どんなに素晴らしいだろうと思った。けれども、もうウチダくんはいないのだ。
「あなた、運が良いわ。あなたはその、冬の少女の前にいるのよ」
ボクはせめて自分も胸を張りながら、もう一度知っていると答えた。
彼女はまた嬉しそうに笑って、
「そうね」
と言った。
その意味を、ボクは後に知ることになる。
《以下、紙ふうせん第二号に続く》
君は知っているだろうか。この世界のどこかに、冬に住まう少女がいるという事を。
聞いたことがあるだろうか。そんな「冬の少女の物語」を。地球が季節と共に回るように、彼女は冬と共に世界を巡っている。
彼女と出会った人は幸福になるという。険悪だった親子の仲が改善されるとか、仕事に運が向いてくるとか。近所で凶暴だと恐れられていた犬と仲良くなれるとか。大切な友達と仲直りできるとか。
彼女のことを知っているのはごく少数だ。同じ冬のロマンである、サンタクロースとかクリスマスにはまるで敵わない。
僕は知っている。なぜかって? そんなもの偶然に決まっている。宝くじと同じだ。ボクは彼女と出会った。でもそれは、誰だってそうだろう? ほんとうに、人生は宝くじに似ている。
少女は冬と共に現れ、冬と共に去っていく。地球が季節と共に回るように、彼女は冬と共に世界を巡る。
彼女のことを知っているのはほんの僅かな人だけだ。同じ冬の世界を回る、サンタクロースとかクリスマスとはまるで違う。彼女は伝説じゃない。もちろん冗談でもない。確かに生きて、世界(ココ)にいるのだ。
君は知っているだろうか?
彼女と出会った人は幸福になるという。
――僕はそれが、嘘であることを知っている。
1
へんな雲が飛んでいる。黒くて、雲なのになんだかごつごつしていて、すごい速さで飛び去っていく。でも、つぎつぎと似たような黒くてごつごつした雲が左から流れてきて、ビルの向こうに消えていく。
お日様は見えない。くろい雲の上を大きな灰色の雲が広がっていて、空を埋め尽くしているから。だから、まだ三時なのに辺りは暗いし、寒い。吐く息が白く、すぅっと空へとのぼって消えていく。これが雲を作るなら、きっと大勢の人が寒くてはぁ~っと息を吐いているのだろう。
もちろん、ボクは雲がそんなものだけで出来ていないことを知っているけど。
「……わっ、と」
危ない。ぼーっと空を見上げていたら思わずひっくり返りそうになって、ボクは慌ててランドセルを背負いなおした。今日はちょっと、あれこれ欲張りすぎたみたいだ。はずみでずれたメガネを手で直す。
ふぅ、と息がもれた。この二週間ばかりで少しは慣れて来たと思っていたけれど、ちょっと油断したらこれだ。図書室で面白いシリーズを見つけたからと、貸し出し限界まで欲張るんじゃなかった。
座り込みたい気持ちを押さえ込んで、ボクは前を向く。だって歩かないと家には着けない。あたりまえだけど、それが今はちょっと大変だ。
道は一直線に続いている。せめて途中で曲がってくれたり、坂になっていたり、あるいは階段とかがあれば多少は歩くのも楽しくなるかもしれない。けれど、こうも延々と信号も十字路も越えてただただ直線ばかりだと、まっすぐ前を向いて歩いていると途方も無さに暮れてげんなりしてしまう。ここまで来た苦労と、これからの苦労を重ねて、思わず座り込みたくなる。
(覚えやすくって良いでしょ)
ずっと前にそう言った母の声を思い出して、良いもんかとつぶやく。いくらボクだって、もうちょっとふくざつな道でも覚えられる。そんなことで喜んだのはせいぜい最初の三日ぐらいだったし、本当に嬉しかった理由は他にあった。
ひとつ、ふたつ、みっつ。指折り時間を数えて、もう引っ越して一年以上経ったのだと思い返す。もう前のマンションのことはあんまり覚えていない。今とは正反対の位置だし、そこに住んでいたのはそんなに長くなかった。その前のマンションなら、まだ思い出せる。いろいろと忘れてきているけれど、大きなお風呂とか、台所の位置とか、部屋がふすまで仕切られていて、夜こっそり隙間を明けてテレビを見たとか思い出せる。思えば、ボクの記憶はそのマンションから始まってさえいるのだ。
ボクはまたランドセルを背負いなおした。今度引っ越すときは、もう少し学校から近いお家にしてもらえるだろうか。――あるいは。
家のすぐ近くに公園がある。満足にキャッチボールも出来ないぐらいの小さな土地に、申し訳程度にすべり台と二台のブランコだけが置かれている。すべり台にはほとんど乗ったことが無いけど、ブランコにはよく乗った。足をぶらぶらさせたり、ゆらゆら揺れながら本を読むのが好きなのだ。今日もそのつもりだった。でも、先客がいた。
ボクは公園で立ち尽くした。ほぅと吐いた息が白く立ちのぼり、メガネを曇らせる。その向こうに、ボクは冬の妖精の姿を見た。ブランコが、風よりもほんの少しだけ強く揺れている。そこに少女は腰掛けていた。体は冷え切っていたけれど、不思議ともう寒いとは感じなかった。
太い毛糸の赤いマフラーに、薄いピンクのコート。そのすそからマフラーと同じ色をしたスカートを覗かせていた。髪は白く、降り積もった新雪のように銀色に輝いている。
ボクはふらふらと公園の中ほどまで足を進めた。少女はまるでボクに気づいたそぶりを見せなかった。期待と不安とがボクの中でうずまいていた。なにかの本にあったとおり、それまで信じてもいなかった運命に選ばれたとき、人は誰でもその思いを抱かずにはいられないようだった。
「……ねぇ、あなた。冬の少女って知ってる?」
ボクは驚いた。少女の声が、ボクの好きな冬の透き通った空気のようだったせいもあるし、冬の少女という言葉にボクは確かに覚えがあったからだ。そして、その言葉があまりにも彼女にぴったりと当てはまったからだ。
だから、ボクは知っていると答えた。
「ほんとうっ!」
彼女はとても嬉しそうに笑って、勢いをつけてブランコから飛び降りた。そこはもうボクの目の前だった。それぐらい小さな公園だったのだ。
間近で見た彼女の顔は、幼いようにも、ずっとずっと年上の人のようにも思えた。その瞳は、冬の空のような色をしていた。今日のような曇りではなく、澄んだ青空の色をしていた。
小さな胸が偉そうにふんぞりかえり、その瞳があでやかに微笑んだ。ウチダくんにも襲い掛かったのだろう感動が、ようやくボクの胸にも広がった。ボクはいまこそ、本当に心のそこからウチダ君に謝りたいと思った。そして、一緒にこの目の前の彼女について語り合いたいと思った。それが出来たら、どんなに素晴らしいだろうと思った。けれども、もうウチダくんはいないのだ。
「あなた、運が良いわ。あなたはその、冬の少女の前にいるのよ」
ボクはせめて自分も胸を張りながら、もう一度知っていると答えた。
彼女はまた嬉しそうに笑って、
「そうね」
と言った。
その意味を、ボクは後に知ることになる。
《以下、紙ふうせん第二号に続く》
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空色の贈り物【お試し版】 - 2010.12.05 Sun
『空色の贈り物』のお試し版です。
作者:三和すい
作者:三和すい
プロローグ
外から聞こえてくる鐘の音に、アリシアはベッドの中で薄く目を開けた。
あれは、朝を告げる神殿の鐘だ。
どの町でも毎日決まった時間に鳴らされる神殿の鐘の音は、人々が生活する上でなくてはならないものである。
アリシアにとってもそれは同じで、一日の始まりに神殿の鐘が鳴らなければ間違いなく昼近くまで寝ていることだろう。実家にいた頃は毎朝母親に起こされていたが、神殿の寮に入ってからは間近に聞こえる鐘の音で目が覚めていた。特に冬は空気が澄んでいるせいか、鳴り響く鐘の音は建物の中にいてもはっきりと聞こえてくる。
ただし、『目が覚めた』からといって『起きる』とは限らない。
(…………寒い)
ひんやりとした部屋の空気に、アリシアは布団の中に深くもぐり込んだ。
朝一番の鐘が鳴ったら、そろそろ起きなければならない。それはわかっている。わかっているのだが、冬の朝は寒い。暖炉に火が入っているのならまだしも、冷たい空気で満たされた部屋で起きるにはかなりの気合いが必要だ。
それに比べると布団の中はたまらなく気持ちいい。やさしく体を包み込んでくる温かさは、まるで楽園にでもいるようだ。安物の毛布やシーツにさえも、その触り心地に何ものにも代え難い幸せを感じる。
ずっとこの温かさを感じていたい、いつまでもこのぬくもりに包まれていたい……。 まぶたが徐々に重くなり、抗う気にもなれずアリシアは布団の中で目を閉じた。そこに、
「アリシア、おはよー!」
すぐ側から元気のいい声が聞こえてきた。
ルームメイトのミレーナだ。
彼女は毎朝空が明るくなる前に起きている……らしい。その時間アリシアは深い眠りの底にいるので知らないが、朝の鐘が鳴る頃にはミレーナはいつも身支度を終えている。
「起きなよ、アリシア。朝だよ」
と、布団の上から揺さぶってくるのも毎朝のこと。
まるで母親のようだが、歳はアリシアと同じ十七歳だ。もっとも、背の低さと幼い顔立ちのせいでミレーナの方が三つほど年下に見える。気分的には妹に起こされているようで、いまいち起きる気がしない。しかも昨夜は寝付きが悪かったせいか、今朝はまだ眠い。
「んー、もうちょっと」
ミレーナには悪いが、あと少しだけ寝かせてもらおう。そう思った時だった。
「ア・リ・シ・ア! 起・き・てっ!」
大声とともに、布団と毛布が一気にはぎ取られた。押し寄せてきた冷たい空気に、アリシアは思わず「ひゃあ」と悲鳴を上げる。
「目、覚めた?」
ベッドの横でミレーナがニコニコと笑っていた。緑色を基調とした制服に身を包んだ彼女の手には、布団と毛布の端が握られている。
「ちょっと! 何するのよ!」
あわてて布団と毛布を取り返すが、眠気はすっかり吹き飛んでいた。
「起きないアリシアが悪いんだよー」
「だって、眠かったんだもん」
「眠いって、寝たのはそんなに遅くなかったのに……あ、なるほど」
ミレーナの口元に、意地の悪い笑みが浮かんだ。
「彼氏が遠征でいないから、寂しくて眠れなかったんだぁ」
「ち、違うわよ」
「もうすぐ大つごもり祭だもんねぇ。恋人募集中のあたしよりも、彼氏がいるのに一緒にいられないアリシアの方が寂しいわよねぇ」
「だから違うってばっ!」
思わず投げつけた枕を、ミレーナはクルリと回って避けた。後ろで一つに結んだ長い髪を揺らしながら窓際に駆け寄ると、
「今日はいい天気なんだから、早く起きないともったいないよ」
ミレーナはカーテンに一気に開けた。薄暗かった部屋がさっと明るくなり、アリシアはベッドの上で目を細める。
「ほら、見てみなよ。すごい晴れてるよ。アリシアが好きな青空だよ」
確かに窓の外には雲一つない空が広がっていた。 日が昇ったばかりなので色は白っぽいが、仕事が始まる頃にはきれいな青空が広がっていることだろう。
――そう。澄みきった冬の青空が。
アリシアは窓の外を見つめ、小さくため息をついた。
晴れた日は好きだ。
青も好きな色である。
けれど、冬の澄んだ青空を、アリシアはどうしても好きになれなかった。
《以下、紙ふうせん第二号に続く》
外から聞こえてくる鐘の音に、アリシアはベッドの中で薄く目を開けた。
あれは、朝を告げる神殿の鐘だ。
どの町でも毎日決まった時間に鳴らされる神殿の鐘の音は、人々が生活する上でなくてはならないものである。
アリシアにとってもそれは同じで、一日の始まりに神殿の鐘が鳴らなければ間違いなく昼近くまで寝ていることだろう。実家にいた頃は毎朝母親に起こされていたが、神殿の寮に入ってからは間近に聞こえる鐘の音で目が覚めていた。特に冬は空気が澄んでいるせいか、鳴り響く鐘の音は建物の中にいてもはっきりと聞こえてくる。
ただし、『目が覚めた』からといって『起きる』とは限らない。
(…………寒い)
ひんやりとした部屋の空気に、アリシアは布団の中に深くもぐり込んだ。
朝一番の鐘が鳴ったら、そろそろ起きなければならない。それはわかっている。わかっているのだが、冬の朝は寒い。暖炉に火が入っているのならまだしも、冷たい空気で満たされた部屋で起きるにはかなりの気合いが必要だ。
それに比べると布団の中はたまらなく気持ちいい。やさしく体を包み込んでくる温かさは、まるで楽園にでもいるようだ。安物の毛布やシーツにさえも、その触り心地に何ものにも代え難い幸せを感じる。
ずっとこの温かさを感じていたい、いつまでもこのぬくもりに包まれていたい……。 まぶたが徐々に重くなり、抗う気にもなれずアリシアは布団の中で目を閉じた。そこに、
「アリシア、おはよー!」
すぐ側から元気のいい声が聞こえてきた。
ルームメイトのミレーナだ。
彼女は毎朝空が明るくなる前に起きている……らしい。その時間アリシアは深い眠りの底にいるので知らないが、朝の鐘が鳴る頃にはミレーナはいつも身支度を終えている。
「起きなよ、アリシア。朝だよ」
と、布団の上から揺さぶってくるのも毎朝のこと。
まるで母親のようだが、歳はアリシアと同じ十七歳だ。もっとも、背の低さと幼い顔立ちのせいでミレーナの方が三つほど年下に見える。気分的には妹に起こされているようで、いまいち起きる気がしない。しかも昨夜は寝付きが悪かったせいか、今朝はまだ眠い。
「んー、もうちょっと」
ミレーナには悪いが、あと少しだけ寝かせてもらおう。そう思った時だった。
「ア・リ・シ・ア! 起・き・てっ!」
大声とともに、布団と毛布が一気にはぎ取られた。押し寄せてきた冷たい空気に、アリシアは思わず「ひゃあ」と悲鳴を上げる。
「目、覚めた?」
ベッドの横でミレーナがニコニコと笑っていた。緑色を基調とした制服に身を包んだ彼女の手には、布団と毛布の端が握られている。
「ちょっと! 何するのよ!」
あわてて布団と毛布を取り返すが、眠気はすっかり吹き飛んでいた。
「起きないアリシアが悪いんだよー」
「だって、眠かったんだもん」
「眠いって、寝たのはそんなに遅くなかったのに……あ、なるほど」
ミレーナの口元に、意地の悪い笑みが浮かんだ。
「彼氏が遠征でいないから、寂しくて眠れなかったんだぁ」
「ち、違うわよ」
「もうすぐ大つごもり祭だもんねぇ。恋人募集中のあたしよりも、彼氏がいるのに一緒にいられないアリシアの方が寂しいわよねぇ」
「だから違うってばっ!」
思わず投げつけた枕を、ミレーナはクルリと回って避けた。後ろで一つに結んだ長い髪を揺らしながら窓際に駆け寄ると、
「今日はいい天気なんだから、早く起きないともったいないよ」
ミレーナはカーテンに一気に開けた。薄暗かった部屋がさっと明るくなり、アリシアはベッドの上で目を細める。
「ほら、見てみなよ。すごい晴れてるよ。アリシアが好きな青空だよ」
確かに窓の外には雲一つない空が広がっていた。 日が昇ったばかりなので色は白っぽいが、仕事が始まる頃にはきれいな青空が広がっていることだろう。
――そう。澄みきった冬の青空が。
アリシアは窓の外を見つめ、小さくため息をついた。
晴れた日は好きだ。
青も好きな色である。
けれど、冬の澄んだ青空を、アリシアはどうしても好きになれなかった。
《以下、紙ふうせん第二号に続く》
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Leeyaの妖精【お試し版】 - 2010.12.05 Sun
『Leeyaの妖精』のお試し版です。
作者:鳴砂謙
作者:鳴砂謙
1
目が覚めてもまだ、里弥(りや)はまどろみにひたっていた。身体はベッドで横になっているのだが、こころは砂浜に寝そべって波に洗われるように気だるい。身体が冷えていた。
里弥は布団をかぶって胎児のように丸まり、拓馬のわき腹に額をくっつけた。規則的な寝息を感じながら今度は甘えるように頬をすりよせる。そうすると煙草と男の匂いが広がった。彼と初めて寝た時は息をとめるほど鼻についたが、三ヶ月の間に馴染んでしまった。
拓馬が寝返りをして離れたので、里弥は布団から顔を出す。彼からただよう魔法の香りで目が冴えた。携帯を手にして時間を確かめると、水曜日の午後三時を過ぎている。携帯を戻し、シャンデリアのぶらさがる天井を見上げた。
高校の同級生は授業を終えて掃除を始めた頃だろうか。
そんな事を考えると胸に淋しさが募ってきたので、拓馬の背中に寄り添った。彼のぬくもりを感じていると落ち着く。理由は分かっていた。やさしい兄の記憶がよみがえってくるからだ。
「お兄ちゃん……」
幼い頃はよく兄の布団にもぐりこみ、絵本を読んでもらってはそのまま眠っていた。懐かしい記憶。でも、あの頃には戻れない。高校生にもなって兄と一緒にいるのが恥ずかしいからではない。兄が、この世にいないのだ。
「お兄ちゃん……」
「ふーん」と、からかうような声が聞こえたのはその時だ。顔をあげると、目を覚ました彼がニヤついている。
「里弥はそういう設定が好きなのか」
「ち、違うの、さっきのはそういうつもりじゃなくて」
顔を真っ赤にして否定しようとする里弥を、拓馬はそっと抱きしめる。
「いいんだ、気にするな。妹のようにかわいがってやるから」
里弥は身体の力を抜き、「……うん」と応える。口もとをつり上げて笑みを浮かべた拓馬が、布団を払いのけ、上にのしかかってきた。
「もう一度、“お兄ちゃん”って言ってみろよ」
「え? ……うん、お兄ちゃん」
「りや」短く名を呼ぶと、熱い口付けをしてきた。胸をかくす里弥の手をつかんで頭上に持っていくと片手でベッドに押しつけ、空いた手で閉じた股に指を滑り込ませていく。じんじんとした痺れが里弥の意識を溶かし、体から力が抜けていった。
気付けば退室の時間が迫っていた。シャワーを浴び、ドライヤーで髪を乾かしていると、拓馬が振り返りながら言う。
「今度する時は制服を着たまましようぜ」
またそれか、と思いながら困った顔をしていると、「いいだろ?」と、もう一度言ってきた。
「い、嫌だよ。汚れちゃうもん」
「そんなに嫌なのかよ。汚れないように気をつければいいだけだろ」
声が荒くなっている。少し機嫌を悪くしたのがわかった。
「待ってよ。嫌だけど、しないとは言ってないじゃん」
「じゃあ、してくれるんだな」
里弥はドライヤーを片手にしばらく黙ったが、「考えとく」と返事をしておいた。彼は兄のようにやさしい時もあれば、怖い時もある。あまり逆らいたくはない。なにより、彼に嫌われることが怖かった。里弥が兄の死を忘れていられるのも、彼が兄のように傍にいてくれるからだ。彼の気持ちが自分から離れたらと思うとぞっとした。
里弥は髪を乾かすのもそこそこに身づくろいし、高校のブレザーに袖を通した。靴を履いた拓馬は、コートを着てさっさと部屋を出ていく。マフラーを巻いた里弥はカバンを手にして、暖房と明かりのスイッチを切って部屋を出た。
ホテルのロビーを抜け、通りに出ると、十二月の冷たい風が吹いていた。まだ夕方の五時を回った頃だが、日は早くも暮れ、ホテルのネオンが煌々としていた。少し歩いて表通りに出ると、そこは本屋やレンタルビデオ店が並ぶ、どこにでもありそうな街の風景が広がっている。
三人組の女子高生がコンビニの前で楽しそうに談笑していた。他校の制服で、里弥と同じ高一だろうか。どことなく中学生の雰囲気を残していて、スカートも膝まである。その横を通り過ぎていくと、前方に横断歩道が見えた。目指す駅は道を渡ればすぐそこだ。別れの時が近づくにつれて焦りが胸の中でふくれ、口を開かせた。
「ねぇ、今日は拓馬の部屋に泊まってもいい?」
「親が心配するだろ」
やんわりと断られるが、家に戻りたくなくて食い下がる。
「私の親は、拓馬の親と同じだよ。学校サボってても何も言わないし、夕食も、最近はずっと別々だし……私がいなくても気付かないよ」
「でも、俺がダメだ。今日は大学のやつらが来るから」
そう……、と気落ちしていると、肩を強く抱かれた。
「また今度泊めてやるよ」
里弥は笑顔になり、「うん、絶対だよ」と言った。
それから駅で拓馬と別れ、ひとり電車に揺られた。最寄り駅で降りてから足取りは重く、途中のコンビニでぼんやりと雑誌を眺めて帰ったので、家の前に着いた頃には七時をまわっていた。
玄関に入ると仏間の明かりがついており、老けこんだ母の背中が見えた。
娘が帰ってきたことにも気付かない母は、兄の仏前で一心に手を合わせていた。まるで兄の亡霊にすべてをささげる殉教者のようだ。だから夫が不倫をしていることに気付きもしないのだ。
里弥は気付かれないうちに自室へと戻り、ドアを閉め、鍵もかけた。明かりをつけると、蛍光灯の白さが部屋をいっそう寒くさせた。
里弥は机に近付き、そこに置いていた一冊の文庫本を手に取る。本のタイトルは『Leeyaの妖精』。雪を追いかけて異世界に迷い込んだ少女が妖精の王と結ばれるラブロマンスだ。
半年前、小説に興味もない里弥が、兄から勧められるまま読み切った本でもある。最初はおもしろいのだろうかと半信半疑だったが、少女の不運な生い立ちに同情し、妖精王との恋にドキドキしてしまうと物語が止まらなくなった。夜遅くまで読みふけり、寝坊して学校に遅刻しそうになったほどだ。物語の興奮を早く兄に伝えたくて、授業が終わるとさっさと帰宅し、兄の部屋で待っていた。
ところがその日、兄は帰ってこなかった。トラックに引きずられ、その場で息を引き取ったのだ。兄から借りた本は、返せないまま里弥の手許にある……
母親のあんな姿を見てしまったせいか、兄の悲惨な死を思い出してしまった。
少し大きめの口と、虫も殺せないような瞳で笑う兄の顔が、判別もできないほど路面に引きずられたことを、これからずっと忘れられないだろう。
不意にこぼれてくる涙を指でぬぐい、掛け布団を頭まで被り、その日は夕食もとらずに眠った。
《以下、紙ふうせん第二号に続く》
目が覚めてもまだ、里弥(りや)はまどろみにひたっていた。身体はベッドで横になっているのだが、こころは砂浜に寝そべって波に洗われるように気だるい。身体が冷えていた。
里弥は布団をかぶって胎児のように丸まり、拓馬のわき腹に額をくっつけた。規則的な寝息を感じながら今度は甘えるように頬をすりよせる。そうすると煙草と男の匂いが広がった。彼と初めて寝た時は息をとめるほど鼻についたが、三ヶ月の間に馴染んでしまった。
拓馬が寝返りをして離れたので、里弥は布団から顔を出す。彼からただよう魔法の香りで目が冴えた。携帯を手にして時間を確かめると、水曜日の午後三時を過ぎている。携帯を戻し、シャンデリアのぶらさがる天井を見上げた。
高校の同級生は授業を終えて掃除を始めた頃だろうか。
そんな事を考えると胸に淋しさが募ってきたので、拓馬の背中に寄り添った。彼のぬくもりを感じていると落ち着く。理由は分かっていた。やさしい兄の記憶がよみがえってくるからだ。
「お兄ちゃん……」
幼い頃はよく兄の布団にもぐりこみ、絵本を読んでもらってはそのまま眠っていた。懐かしい記憶。でも、あの頃には戻れない。高校生にもなって兄と一緒にいるのが恥ずかしいからではない。兄が、この世にいないのだ。
「お兄ちゃん……」
「ふーん」と、からかうような声が聞こえたのはその時だ。顔をあげると、目を覚ました彼がニヤついている。
「里弥はそういう設定が好きなのか」
「ち、違うの、さっきのはそういうつもりじゃなくて」
顔を真っ赤にして否定しようとする里弥を、拓馬はそっと抱きしめる。
「いいんだ、気にするな。妹のようにかわいがってやるから」
里弥は身体の力を抜き、「……うん」と応える。口もとをつり上げて笑みを浮かべた拓馬が、布団を払いのけ、上にのしかかってきた。
「もう一度、“お兄ちゃん”って言ってみろよ」
「え? ……うん、お兄ちゃん」
「りや」短く名を呼ぶと、熱い口付けをしてきた。胸をかくす里弥の手をつかんで頭上に持っていくと片手でベッドに押しつけ、空いた手で閉じた股に指を滑り込ませていく。じんじんとした痺れが里弥の意識を溶かし、体から力が抜けていった。
気付けば退室の時間が迫っていた。シャワーを浴び、ドライヤーで髪を乾かしていると、拓馬が振り返りながら言う。
「今度する時は制服を着たまましようぜ」
またそれか、と思いながら困った顔をしていると、「いいだろ?」と、もう一度言ってきた。
「い、嫌だよ。汚れちゃうもん」
「そんなに嫌なのかよ。汚れないように気をつければいいだけだろ」
声が荒くなっている。少し機嫌を悪くしたのがわかった。
「待ってよ。嫌だけど、しないとは言ってないじゃん」
「じゃあ、してくれるんだな」
里弥はドライヤーを片手にしばらく黙ったが、「考えとく」と返事をしておいた。彼は兄のようにやさしい時もあれば、怖い時もある。あまり逆らいたくはない。なにより、彼に嫌われることが怖かった。里弥が兄の死を忘れていられるのも、彼が兄のように傍にいてくれるからだ。彼の気持ちが自分から離れたらと思うとぞっとした。
里弥は髪を乾かすのもそこそこに身づくろいし、高校のブレザーに袖を通した。靴を履いた拓馬は、コートを着てさっさと部屋を出ていく。マフラーを巻いた里弥はカバンを手にして、暖房と明かりのスイッチを切って部屋を出た。
ホテルのロビーを抜け、通りに出ると、十二月の冷たい風が吹いていた。まだ夕方の五時を回った頃だが、日は早くも暮れ、ホテルのネオンが煌々としていた。少し歩いて表通りに出ると、そこは本屋やレンタルビデオ店が並ぶ、どこにでもありそうな街の風景が広がっている。
三人組の女子高生がコンビニの前で楽しそうに談笑していた。他校の制服で、里弥と同じ高一だろうか。どことなく中学生の雰囲気を残していて、スカートも膝まである。その横を通り過ぎていくと、前方に横断歩道が見えた。目指す駅は道を渡ればすぐそこだ。別れの時が近づくにつれて焦りが胸の中でふくれ、口を開かせた。
「ねぇ、今日は拓馬の部屋に泊まってもいい?」
「親が心配するだろ」
やんわりと断られるが、家に戻りたくなくて食い下がる。
「私の親は、拓馬の親と同じだよ。学校サボってても何も言わないし、夕食も、最近はずっと別々だし……私がいなくても気付かないよ」
「でも、俺がダメだ。今日は大学のやつらが来るから」
そう……、と気落ちしていると、肩を強く抱かれた。
「また今度泊めてやるよ」
里弥は笑顔になり、「うん、絶対だよ」と言った。
それから駅で拓馬と別れ、ひとり電車に揺られた。最寄り駅で降りてから足取りは重く、途中のコンビニでぼんやりと雑誌を眺めて帰ったので、家の前に着いた頃には七時をまわっていた。
玄関に入ると仏間の明かりがついており、老けこんだ母の背中が見えた。
娘が帰ってきたことにも気付かない母は、兄の仏前で一心に手を合わせていた。まるで兄の亡霊にすべてをささげる殉教者のようだ。だから夫が不倫をしていることに気付きもしないのだ。
里弥は気付かれないうちに自室へと戻り、ドアを閉め、鍵もかけた。明かりをつけると、蛍光灯の白さが部屋をいっそう寒くさせた。
里弥は机に近付き、そこに置いていた一冊の文庫本を手に取る。本のタイトルは『Leeyaの妖精』。雪を追いかけて異世界に迷い込んだ少女が妖精の王と結ばれるラブロマンスだ。
半年前、小説に興味もない里弥が、兄から勧められるまま読み切った本でもある。最初はおもしろいのだろうかと半信半疑だったが、少女の不運な生い立ちに同情し、妖精王との恋にドキドキしてしまうと物語が止まらなくなった。夜遅くまで読みふけり、寝坊して学校に遅刻しそうになったほどだ。物語の興奮を早く兄に伝えたくて、授業が終わるとさっさと帰宅し、兄の部屋で待っていた。
ところがその日、兄は帰ってこなかった。トラックに引きずられ、その場で息を引き取ったのだ。兄から借りた本は、返せないまま里弥の手許にある……
母親のあんな姿を見てしまったせいか、兄の悲惨な死を思い出してしまった。
少し大きめの口と、虫も殺せないような瞳で笑う兄の顔が、判別もできないほど路面に引きずられたことを、これからずっと忘れられないだろう。
不意にこぼれてくる涙を指でぬぐい、掛け布団を頭まで被り、その日は夕食もとらずに眠った。
《以下、紙ふうせん第二号に続く》
| 2010-12-05 | 紙ふうせん第二号 | Comment : 0 | トラックバック : 0 |
必勝の条件【お試し版】 - 2010.12.05 Sun
『必勝の条件』のお試し版です。
作者:永坂暖日
作者:永坂暖日
白くけむる息とともに差し出されたのは、赤い色の鮮やかなパッケージ。大きく無骨な手の中で、それはますます小さく見えた。
「気休めかもしれないけど、験担ぎにはなるから」
紺色のブレザーを着たその人は、あっという間に人混みの中へ紛れてしまった。
○
試験とは、学生という身分にある限り逃れられないものだ。
否、自己責任において逃げるのも構わない、という人もあるだろう。けれど、逃げかたばかりが上手になった頃には世間が自分から逃げてしまっていて、追いかけようにも遙か彼方へと去っている。
試験とは、学生という身分にある限りほどよいおつき合いを忍耐強く続けていかなければならないのである。
そんなわけで、私は大学構内の掲示板の前にいた。理学部の掲示板なので、集まっている人の大半は男子学生だ。私の身長は成人女性の平均を大きく下回るので、掲示板に群がる男子学生はまさに人の壁。ヒールのあるブーツを履いていても、見えるのは背中と後頭部ばかりである。背伸びをしたところで、見える景色にほとんど変わりはなかった。
私は男子学生の後ろ姿を眺めに来たのではない。
今朝方、掲示板に後期試験の時間割が張り出されたのだ。いまは二時限目の講義が終わった正午過ぎ。これから始まる昼休み前に時間割を確認しようと、寒空のもと学生たちが大挙して押し寄せているわけだ。
大学に入学してもうすぐ一年。中高一貫の女子校で学んだ私も、理学部に充ち満ちている男臭さにはすっかり慣れた。
なんの負けてなるものか。時間割が見えるところまで「すみません」と人をかき分けながら強引に進んでいく。
多少もみくちゃにされながらも、何とか目的を果たせそうな位置までたどり着く。スケジュール帳に急いで時間割を書き写した。苦手な科目の試験が同じ日にあったりするが、とりあえずいまはメモすることを優先。嘆くのは後からでいい。
メモを終えてスケジュール帳をバッグに仕舞おうとしたけれど、押し合いへし合いする周囲の人に肘をぶつけてしまいそうだ。一旦諦めてここから脱出しよう。
先ほどと同じように人の間をぐいぐいと進んでいたら、突然目の前に大きなバッグが現れた。とっさに避けようとしたけれど、肩をぶつけてしまう。その拍子に手にしていたスケジュール帳が転げ落ちて、「ぎゃっ」と乙女らしからぬ心の声を上げていた。
スケジュール帳は大きな靴たちのすき間に着地する。いけない、私の手の圏外だ。ただでさえ身長の低い私がこの場でしゃがめば蹴っ飛ばされてしまうかもしれなかったけれど、スケジュール帳が靴底の餌食となる前に回収しなくては。
一生懸命に手を伸ばした時、別の手が伸びてきてスケジュール帳を拾い上げた。見上げると、知った顔が私を高みから見下ろしていた。
「これ、もしかして高橋の?」
スケジュール帳を拾ったのは、同じ学科の寺島君だった。「ほれ」と私に差し出したので、急いで立ち上がる。
「ありがとう、拾ってくれて」
「どういたしまして」
寺島君はにっと笑い、意地の悪い余計な一言をつけ足した。「単位まで落とすなよ」
「縁起でもないこと言わないでよ」
私は口を尖らせ言い返した。
寺島君とは学科が同じで学生番号が近いので、実験科目や共同レポートではいつも一緒の班になる。私がドジするところを彼には何度も見られているから、何かちょっとした失敗をするだけで最近はからかわれるようになってしまった。
「じゃあ、これやるよ」
寺島君がバッグから取り出したのは、真っ赤な包装が目をひくウエハースチョコのお菓子だった。「きっと勝つ」という験を担がせ、受験シーズンまっただ中のいまの時期、いっそうお菓子売り場などで目立っているあれである。
「あ、ありがと」
寺島君からの意外な貰いものにちょっと驚いた。男の子でもこんな甘いお菓子(しかもお得パック用だ)を持ち歩くことがあるんだ。そんなことは初めて知ったし、何より「験担ぎに」と私に同じお菓子をくれた人がほぼ一年前にもいたからだ。
「俺は、高橋の単位までは拾えないから」
寺島君が先ほどの笑みをいくらか柔らかくして言った。
「へ?」
彼の言葉の意味がすぐには分かりかねた。けれど寺島君が眉をひそめたのとほぼ同時に、彼が何を言わんとしていたのか気がつく。
「ああ、そういうことね。ありがとう」
私が落としたのがスケジュール帳であれば寺島君でも拾うことはできるけど、単位まではそうはいかない。彼はそう言いたかったのだ。
「高橋って、鈍いのな」
寺島君の目には間違いなく呆れの色が浮かんでいた。哀れみも少々加味されているように見えたのは、気のせいではないだろう。
「そんなことないよ」
すかさず言い返す。いま気がつくのが遅れたのは、一年前のとある出来事のことを思い出していたからだ。しかし、そんなことなど知るよしもない寺島君は相手にしてくれない。
「いや、いまので証明されてるから」
さらに抗議しようとしたら、寺島君を呼ぶ声が少し離れたところから聞こえた。どうやら彼の友人らしい。寺島君は「じゃあな」と行ってしまった。私は鈍くない、ということを彼に分かってもらえなかったのがちょっと悔しい。
そう思っていたら、「晶」と背後から肩を叩かれた。「お待たせ」
「加弥子、遅いよ」
現れたのは、待ち合わせをしていた友人の源川加弥子である。お昼ご飯を一緒に食べる約束をしていたのだ。
「ごめんごめん、講義が少し延びちゃって。それに、人の中に埋もれてるあんたを見つけるのにも、時間かかっちゃった」
「何それ、ひどーい」
「それよりここ寒いし、早く学食行こ。お腹減ったし温かいもの食べたい」
加弥子を待っている間に私の身体も冷えていた。私たちは連れだって、掲示板の近くにある理学部の学食へと向かった。
《以下、紙ふうせん第二号に続く》
「気休めかもしれないけど、験担ぎにはなるから」
紺色のブレザーを着たその人は、あっという間に人混みの中へ紛れてしまった。
○
試験とは、学生という身分にある限り逃れられないものだ。
否、自己責任において逃げるのも構わない、という人もあるだろう。けれど、逃げかたばかりが上手になった頃には世間が自分から逃げてしまっていて、追いかけようにも遙か彼方へと去っている。
試験とは、学生という身分にある限りほどよいおつき合いを忍耐強く続けていかなければならないのである。
そんなわけで、私は大学構内の掲示板の前にいた。理学部の掲示板なので、集まっている人の大半は男子学生だ。私の身長は成人女性の平均を大きく下回るので、掲示板に群がる男子学生はまさに人の壁。ヒールのあるブーツを履いていても、見えるのは背中と後頭部ばかりである。背伸びをしたところで、見える景色にほとんど変わりはなかった。
私は男子学生の後ろ姿を眺めに来たのではない。
今朝方、掲示板に後期試験の時間割が張り出されたのだ。いまは二時限目の講義が終わった正午過ぎ。これから始まる昼休み前に時間割を確認しようと、寒空のもと学生たちが大挙して押し寄せているわけだ。
大学に入学してもうすぐ一年。中高一貫の女子校で学んだ私も、理学部に充ち満ちている男臭さにはすっかり慣れた。
なんの負けてなるものか。時間割が見えるところまで「すみません」と人をかき分けながら強引に進んでいく。
多少もみくちゃにされながらも、何とか目的を果たせそうな位置までたどり着く。スケジュール帳に急いで時間割を書き写した。苦手な科目の試験が同じ日にあったりするが、とりあえずいまはメモすることを優先。嘆くのは後からでいい。
メモを終えてスケジュール帳をバッグに仕舞おうとしたけれど、押し合いへし合いする周囲の人に肘をぶつけてしまいそうだ。一旦諦めてここから脱出しよう。
先ほどと同じように人の間をぐいぐいと進んでいたら、突然目の前に大きなバッグが現れた。とっさに避けようとしたけれど、肩をぶつけてしまう。その拍子に手にしていたスケジュール帳が転げ落ちて、「ぎゃっ」と乙女らしからぬ心の声を上げていた。
スケジュール帳は大きな靴たちのすき間に着地する。いけない、私の手の圏外だ。ただでさえ身長の低い私がこの場でしゃがめば蹴っ飛ばされてしまうかもしれなかったけれど、スケジュール帳が靴底の餌食となる前に回収しなくては。
一生懸命に手を伸ばした時、別の手が伸びてきてスケジュール帳を拾い上げた。見上げると、知った顔が私を高みから見下ろしていた。
「これ、もしかして高橋の?」
スケジュール帳を拾ったのは、同じ学科の寺島君だった。「ほれ」と私に差し出したので、急いで立ち上がる。
「ありがとう、拾ってくれて」
「どういたしまして」
寺島君はにっと笑い、意地の悪い余計な一言をつけ足した。「単位まで落とすなよ」
「縁起でもないこと言わないでよ」
私は口を尖らせ言い返した。
寺島君とは学科が同じで学生番号が近いので、実験科目や共同レポートではいつも一緒の班になる。私がドジするところを彼には何度も見られているから、何かちょっとした失敗をするだけで最近はからかわれるようになってしまった。
「じゃあ、これやるよ」
寺島君がバッグから取り出したのは、真っ赤な包装が目をひくウエハースチョコのお菓子だった。「きっと勝つ」という験を担がせ、受験シーズンまっただ中のいまの時期、いっそうお菓子売り場などで目立っているあれである。
「あ、ありがと」
寺島君からの意外な貰いものにちょっと驚いた。男の子でもこんな甘いお菓子(しかもお得パック用だ)を持ち歩くことがあるんだ。そんなことは初めて知ったし、何より「験担ぎに」と私に同じお菓子をくれた人がほぼ一年前にもいたからだ。
「俺は、高橋の単位までは拾えないから」
寺島君が先ほどの笑みをいくらか柔らかくして言った。
「へ?」
彼の言葉の意味がすぐには分かりかねた。けれど寺島君が眉をひそめたのとほぼ同時に、彼が何を言わんとしていたのか気がつく。
「ああ、そういうことね。ありがとう」
私が落としたのがスケジュール帳であれば寺島君でも拾うことはできるけど、単位まではそうはいかない。彼はそう言いたかったのだ。
「高橋って、鈍いのな」
寺島君の目には間違いなく呆れの色が浮かんでいた。哀れみも少々加味されているように見えたのは、気のせいではないだろう。
「そんなことないよ」
すかさず言い返す。いま気がつくのが遅れたのは、一年前のとある出来事のことを思い出していたからだ。しかし、そんなことなど知るよしもない寺島君は相手にしてくれない。
「いや、いまので証明されてるから」
さらに抗議しようとしたら、寺島君を呼ぶ声が少し離れたところから聞こえた。どうやら彼の友人らしい。寺島君は「じゃあな」と行ってしまった。私は鈍くない、ということを彼に分かってもらえなかったのがちょっと悔しい。
そう思っていたら、「晶」と背後から肩を叩かれた。「お待たせ」
「加弥子、遅いよ」
現れたのは、待ち合わせをしていた友人の源川加弥子である。お昼ご飯を一緒に食べる約束をしていたのだ。
「ごめんごめん、講義が少し延びちゃって。それに、人の中に埋もれてるあんたを見つけるのにも、時間かかっちゃった」
「何それ、ひどーい」
「それよりここ寒いし、早く学食行こ。お腹減ったし温かいもの食べたい」
加弥子を待っている間に私の身体も冷えていた。私たちは連れだって、掲示板の近くにある理学部の学食へと向かった。
《以下、紙ふうせん第二号に続く》
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